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2012年6月24日 (日)

母の本達に住所印を

実家の整理をした時、本を沢山手放しました。

父の書斎に残っていた本は、7割が電気と原子力に関する学術書、2割が政治経済歴史に関する本、1割が語学・旅行関係といった感じでした。

学術書の半分以上を占めていた原子力関係の本は、とある大学が引き取って下さいました。

電気関係の本の3分の1くらいと、母の持っていた文学の初版本数冊を古本屋さんが買い取ってくれましたが、「それ以外の本は買い取れない」と断られました。

両親が大切にしてきた本だから”生かして使えたら”と思って、何軒もの古本屋さんに連絡を取って話をし、やっと話がまとまったところと時間の約束をして、という手間をかけたので、ちょっと拍子抜けでした。

元々、私にとっては”生かすこと”が問題で、”売ってお金に替えたい”訳ではなかったので、それから、”差し上げること”に視点を絞って考えました。それでも、本の保管には場所が必要なので、なかなかに難しいことでした。

困っていた時に、”寄贈という形ならば受け入れる”と言って下さる方に巡り合いました。
見に来て下さり、母が好きだった美術や文化の本(結構沢山)と、父の政治経済歴史に関する本(少し)を気に入って下さり、引き取って下さいました。

201206241222000_juusyoin「母が持っていた」という痕跡を本に残したくて、その本達に母の住所印(蔵書印は持っていなかったので。)を押した紙を挟み込むことをお願いしてみたところ、快諾して下さったので、一昨日、母の住所印と母が使っていた印肉を持ってうかがいました。

紙にはんこを押す私の脇で、その方が本を1冊1冊開いて紙を挟み込んで下さる。本が息を吹き返すような気がして、本当に嬉しかった。

「本当に読みたいんですけれど、読み始めたら深みにはまってしまって整理が出来ないから、とりあえず整理だけしているんですよ。」とおっしゃる。そんな方に引き取っていただけて、母も、母の本達も幸せだなとつくづく思いました。
私も、母の本を通じて、素晴らしい方と巡り合ったのです。

100枚以上の紙に印を押しました。
今は亡き母の名前と、もはや私が戻る場所でなくなった私の生まれ育った土地の住所とが刻まれた住所印を押しながら、感傷的になるのと同時に、「時間は戻らない、進んでいくのみ」と両親に背中を押された気もするひと時でした。

母の名前は、久子。
”地久節”に生まれたから、その久の字を取って、祖父が「久子」と名付けたそうなのです。その話を、本を引き取って下さった方にしたら、「”地久節”って何ですか?」と訊かれた。

私も、母の名前が久子でなければ、”地久節”って、知らなかったことでしょう。
戦前は、天皇の誕生日を「天長節」、皇后の誕生日を「地久節」と呼んでいたとのこと。母が生まれた大正時代の「地久節」は、貞明皇后の誕生日であった6月25日でした。

明日6月25日は、母の誕生日。
本に紙を挟み込むことも終わったので、気持ちに区切りが付けられそうな気がします。

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